進路決定のとき
ある日の学習相談日、午前9時から13時間、一人ひとりと個別面談を行いました。やりたいことややりたいものが決まっている子どもの方が少数派です。
私が生まれた40年ほど前の日本は、高度経済成長期に向かっていて、社会全体が突き進んでいました。一流の会社に入って、家を建て、退職金と年金で不自由なく老後を送る・・・。「巨人、大鵬、卵焼き」という子どもにも大人にも価値観のわかりやすかった時代でした。
それが20年ほど前から「競争」ではなく「個性」という言葉が前面に出てきました。それは、「自由」で「優しい」響きで受け入れられましたが、実は私たち一人ひとりに与えられた課題だったのです。「何でもやりなさい」「好きなことをしなさい」・・・そういわれて育った子どもたちには、「目標」を決めることが結構難しいのです。
子どもには「一番」が見えにくい時代になりました。
その日3番目に面談したのは、数学の得意な高3女子でした。面談票には弘大教育学部、明大理工学部と並んで「東京女子体育大」とありました。
「体育の先生になるのが小学校からの夢だったんです。」明るく答える彼女の顔が印象的でした。運動が好きで、数学が好きなので体育の先生か数学の先生になりたい。本当は両方やりたいのだと話してくれました。
「数学か体育かは絞った方がいい。職業は進学後に教職以外にも広がるからね。」とアドバイスしました。「考えてみます。」という返事でした。
「公務員がいい。」「東京はだめなんです。弘前か、遠くても仙台までなら。」・・・子どもたちが面談で話してくれる言葉は、お父さんお母さんの言葉ではないかなと思うことが度々です。
親からすれば、「うちの子供は中学生になってからも何も話してくれなくなった。」と思っていても、実は子どもは親の考えをどこかで探っているものです。
知らず知らずのうちに親の生き方に倣ってしまい、親の言葉に縛られているのです。子どもは何歳になっても親に認められたいのでしょう。
野球のイチロー選手やサッカーの中田選手は世界で活躍する手本を示してくれましたが、彼らはいつ頃から世界を目標にしたのでしょうか。いつ頃から巧くなったのでしょうか。きっと幼い頃に、彼らには彼らの手本があったのでしょう。導く者がいたのでしょう。
「教育」の「教」という字は、もとは「効(ならう)」で「手本を示しながら育むこと」を教育というのであれば、私たちは学習塾の場で「手本」を示さねばと考えております。
今まさに受験生は進路決定の時ですが、進路は小中高と時間をかけて決めてゆくものではないでしょうか。
次の日彼女は「先生、やはり体育大も受けてみます。」と言って微笑みました。
今年も1月、高3受験生は大学入試センター試験へ挑みます。自分の「夢」へ向かって確実に第一歩を踏み出します。 |